アスリートインタビュー

リオパラリンピック陸上競技銅メダリスト
多川知希選手

リオパラリンピック銅メダリストの多川知希選手

多川 知希Tomoki Tagawa

1986/2/6生、神奈川県横浜市出身、右上肢機能障害

戦歴

  • ロンドン2012 パラリンピック
    陸上競技男子100m 5位、4×100mリレー 4位
  • インチョン2014 アジアパラ競技大会
    陸上競技男子100m 銅メダル、200m 銅メダル
  • リオ2016 パラリンピック
    陸上競技男子4×100mリレー 銅メダル

第1回
日本の”チーム力”でつかみとった、4×100mリレーの銅メダル

ロンドンからの4年間のチャレンジが実を結んだ

––– 多川選手が陸上を始めたきっかけは。

陸上について語る多川選手

中学から陸上部に入部しました。ただ、足が速かったわけではなく、最初は投てきの選手でした。短距離に転向したのは大学に入った後です。障がい者の大会で活躍できて、面白くなってきました。

––– 初めてのパラリンピック出場は2008年の北京大会でした。

初めての出場が決まったときはうれしかったですね。ただ、北京では悔しい気持ちしか残っていません。個人で出場した陸上競技100mと200mでは、どちらも予選落ち。4×100mリレーではバトンパスに失敗してしまって、失格になってしまいました。第2走者だった私が第3走者に渡せなかったんです。自分は何をしに行ったんだと……。

––– その悔しい気持ちが4年後のロンドンへの原動力になったんですね。

そうですね。個人的には北京からロンドンまでの間には、大学生から社会人になるという環境の変化がありました。平日は仕事で遅くなることも多いので、家に帰ってから走るしかありません。練習時間がとれない中で、量よりも質を求めるようになりました。1本1本のダッシュを大事にしたことで、練習時間が短くなったにもかかわらずタイムが伸びていきました。

––– ロンドンでは100mで5位、4×100mリレーで4位と個人・団体のどちらも入賞を果たしました。

ロンドン大会でスタート直前の様子
ロンドン大会の様子 写真提供:多川知希

もうちょっと頑張ればメダルに届くという結果を出せたのは自信になりました。だからこそ、4年後のリオでは何としてもメダルを獲りたいという思いが強くなりました。特にリレーですね。ここからの4年間でどういった形でアプローチしていけばメダルを獲れるのかを考えました。

チャンスはもらえる位置にいないと来ない

––– そして迎えたリオ2016大会。大会前からメダルを獲れるという手応えはありましたか?

リオまでの間に世界選手権が2013年、2015年と2回あったのですが、どちらも日本は4位だったんです。今回も、他国のメンバーを見たときは4位だろうと思っていました。だけど、メンバーで話していたのは「何が起こるかわからないし、僕らはチャンスをもらえる位置にいなきゃいけない」と。

––– 4×100mリレーで日本は4位でゴールしました。しかし、1位のアメリカが失格になったことで3位に繰り上がり、銅メダルを獲得しました。メダルが決まったときの心境は?

リオ大会で4×100mリレー直後の日本チーム
リオ大会ゴール直後の様子 左より芦田選手、佐藤選手、多川選手、山本選手 写真提供:多川知希

率直にうれしかったですね。「棚からぼた餅」ではあったとしても、ロンドンからの4年間でいろいろなことにチャンレンジした結果のメダルだったので。

––– リオ大会までに具体的にチャレンジしたことを教えていただけますか。

当初、私は第1走者を務めることになっていました。ただ、リオの1カ月前の8月に行った合宿で、さらにメダル獲得の確率を高めるためにはどうすればいいかを考えて、第1走者の私と第3走者の芦田創選手を入れ替えることになったんです。

––– 第1走者から第3走者になることで、どんなところが変わるのでしょうか?

第1走者の場合、自分がスタートしてバトンを渡すだけなので、走ることに専念できます。ただ、第3走者はバトンを受け取って、次の走者に渡さなければいけません。第4走者の山本篤選手よりも私の方が障がいが軽いので、私がなるべく長く走って、リードを稼いでバトンを渡すという作戦でした。私自身は北京でバトンパスを失敗した記憶もあったので、不安はありました。ただ、結果的には直前の変更がうまくはまったと思います。

––– リオ大会ではオリンピックでも4×100mリレーで日本がメダルをとって、バトンパスの技術がクローズアップされました。これは日本の武器なんでしょうか。

そうですね。他の国は個々に速い選手が集まってリレーに出たという感じなので、寄せ集めのような雰囲気があります。アメリカも今回失格してしまいましたが、バトンパスはあまりうまくありません。日本は走力では他の国よりも劣るのですが、バトンパスの技術でなんとか食らいついています。ただ、絶対的に走力が劣るところがあるので、個々の能力を上げていくのは次の課題ですね。

––– 今回はリオでの思い出の品を持ってきていただいきました。

多川選手がリオで使った公式ジャージ

これはリオ大会の公式ジャージで表彰式やイベントなどに出るときに着用します。

多川選手が獲得したメダルのふちに種目が刻印されている

メダルはパラリンピックなので点字が入っていて、メダルの外側のふちには種目が刻印されているんです。なので、4×100mリレーの銅メダルは世界に4つしかありません。また、振ると音が鳴ります。メダルによって音色が違って、銅より銀のほうがちょっと高い音がするんです。ただ今回、金は日本の選手は誰もとれなかったので、どんな音がするのかわかりません(笑)。

多川選手が大会で使う義手

それから義手は僕にとってなくてはならないものです。私は右手が短いので、クラウチングスタートをするときに肩の高さが合わないので、この義手を使って支えています。型をとって部品を組み合わせた特注品です。腕に接するところはカーボンになっていて、意外と軽いんですよ。

––– 「メダリスト」になったことで変化はありましたか?

そうですね(笑)。取材を受けることや人前で話すことも増えました。何より銀座でパレードしたことが印象に残っています。80万人の方が来られて。オリンピックの選手を目当てにくる方が多いと思うのですが、パラリンピックの選手にも「おめでとう」と言ってくれたり、手を振ってくれたりしてくれて、とてもうれしかったですね

––– そういう経験をすると「4年後も」という気持ちになりませんか?

はい。今回はリレーでメダルを獲ることができましたけど、個人種目でもメダルを獲りたいと思っています。リレーでは銅以上のメダルが目標です。個々のレベルが上がれば、おのずとチームのレベルも上がってきますから、2020年に向けてトレーニングを積みたいと思っています。